そこらへんにいるアラサーのつぶやき。

口も悪いし酒癖も悪い。でも根はまじめ。日々学び。

相手の胃袋をつかめ、というものの。

自粛期間中にもっと頑張ればよかったなと思うこと

 

第1位、料理の練習。

 

私は何を隠そう貧乏舌だし、

食に対する強いこだわりがない。 

火が通っているものであればだいたい許容して食べることができる。 

 

結婚してからそれなりに自炊はしているものの、

ちょっと炒めたり、茹でたりしてあれば

白だし・味塩コショウ・香味ペーストあたりの調味料で

美味しくいただけるからそれを料理だと思っている。

正直それで充分。

 

加えて、気に入ったものは飽きずに食べれるタイプ。

サイゼだったら毎回ミラノ風ドリアを選ぶし、

居酒屋行ったら乾杯から〆の一杯までハイボールを貫くし、

好きな物なら毎日同じメニューでも問題ない。

 

一方、うちの旦那さまはいくら好物とはいえ

毎日は避けたいタイプ。

冬場は私が鍋ばっか作るものだから

「鍋以外」というド直球リクエストを送ってくる。

 

共働きなのもあって、

平日帰宅後に料理を作るのはちょっと大変で

慣れてたり、調理工程が少ないレシピに頼りがち。。

薄々申し訳なさを感じておりました。

 

この外出自粛を機に、料理のいろはを身につければよかったと猛省している。

食事の時間をよりよいものにしたい、とは切に思うものの

旦那のやさしさに甘えているのも事実。

 

基本、すっごくシンプルな料理しか作らないので

たまに気合い入れてクックパッドで手順多いやつ作ると

謎に派手な失敗が起きる。

 

この前すっごいまずいものができて

自分がこんなものを作り出せる錬金術師だったことに驚きを隠せなかった。

すごく申し訳ない気持ちで食卓に運び、

「失敗しちゃった・・・。(100点中)24点くらい。」と

早々に懺悔すると

「そう?27点くらいあるんじゃない?」と

フォロー。

 

自己評価より高い点数をくれただけでもありがたいのに

「それ何点満点?」と問う嫁に対し、なんとうちの旦那様は

 

「うーーーん、30点満点かな。」

 

 

えげつなくとんでもないフォロー。

 

泣ける。お世辞うますぎ。好き。

普通にくっそまずい料理提供してるのに胸が苦しい。

こりゃあもっと旦那のために頑張らねば…!と血がたぎります。

しかし一方で、「あれ。旦那もけっこう貧乏舌なのかな?」と

あぐらをかいてしまいそうな危うさがある。

 

せめてレパートリーは増やしていきたいと思う今日この頃。

 

 

きっと、言葉には人を動かす力があると信じているよ。

どうにもこうにも、今日は集中力がBB弾くらいのサイズで

口さみしいのか暇つぶしなのか水分摂取ばっかり捗っちゃって

なんとかしてくれよ、、と曇り模様な1日でした。

 

そんな時ふと、

いつの日かTwitterで見たある言葉を思い出した。

 

「これ以上お前たちの好きにはさせない」

 

 

もう疲れたぁ~ めんどくせぇ~ となったら

この言葉をつぶやくとやる気スイッチが押されてイイカンジ、的なことが

かわいいイラストとともに紹介されていたのが脳裏をよぎった。

 

その投稿を見たとき、もしやこれは

いきなり徐行から5速に入ってハイウェイを160kmでぶっぱなすばりに

エンジンがかかる魔法の言葉なんじゃないかと思った。

 

なぜなら私はわりと厨二病を患っているから。

「背中は任せる」とかそーゆう類のセリフが大好物な私は

もうはち切れんばかりの期待をした。

 

 

・・・きたか、ついに試す時が。

 

しばらくして突然鳴った携帯。

ディスプレイにはLINEの新着通知。

(どうせLINEニュース)

わかっていながらも画面を開き、確認を済ませた刹那、

間髪入れずにSafariのアイコンをタップ。

 

私はすみやかに「医薬部外品ってなんだろう」という疑問について

グーグル先生に教えを乞おうとしていた。

 

・・・・そして!

ハッとわれに返り、満を持してそっとつぶやいた。

ラピュタバルス並みの重みがあるであろう、その言葉を。

 

 

「これ以上お前たちの好きにはさせない」

 

 

 

自分が不急不要の検索をかけようとしていることを検知、

サイドのボタンで一瞬にして自粛モード!

力んだのか画面のスクショしちゃったけど、

無事に仕事に戻ることができた。

 

・・・・キタ!

これは・・・・・いける!

 

 

 

と思いましたが、

効果があったのは7回に1回くらいでした。

 

そのあとは普通に「銀魂のイラスト見たいな~~」とか思って

親指スイスイやってましたわ。

あと鼻歌うたいながら資料作ってましたわ。

 

 

・・・このブログ、ぜったい職場の人に特定されたくないな。

決断する自由はほしいけど、こわかったり難しかったりするなぁと思う話。

社用パソコンが調子悪く、交換してもらうため急遽出社に。

約2ヶ月ぶりに電車乗ったわけですが、朝は意外と混んでましたな。

まさかの空席ゼロでびっくり。 密やん!

 

2月3月は時差出社もなく普通に通勤していて、

花粉症の私はすっごく肩身が狭かった。

くしゃみとか咳すると人の目が痛いw

でも話題になった『私は花粉症です』バッジは

なんとなく負けた気がして付けたくなかったんだよな。

何と張り合ってるのか自分でもわかんないんだけど。。 

 

そういえば、WHOのテドロス事務局長すごいことになってる。

彼の対応がよかったとか悪かったとか、それは何とでも言えるんだけど

自分があの立場で物事を決断しなきゃいけないと想像すると

心底ゾッとする。

世界人口は70億人を超えていて、これからも増え続けるとの見通しだけど

それだけの人数の命を左右する決断をするとか、絶対やだw

 

小規模チームではあるものの責任者をやらせてもらっているけれど、

スピーディーに物事を判断することの難しさは日々実感する。

 

なにが正解かわからなくても、方向性を決めて推進しなくてはいけない。

これは管理職とか関係なく、人の人生では必ず出くわすことだけど、、

そーゆう時は少ながらず失敗への恐怖心がよぎったり、

不確定さに疑心暗鬼になったり、穏やかならぬ心境に陥る。

 

自分が最良だと思った選択肢に反発されれば

ショックだったりイラついたり、負の感情が湧くことだってある。

万人に納得してもらうことなんて最初から期待してないはずなのに。。

時には自分すら納得感ない場合だってあるわけで。

 

ほんと、いっちょ前に人間。

一言では表せない色んな感情がうごめいて、

「人の決断に従う方が楽だ・・・」

「自分が決められることは楽しいし、やりがいがある」

「決められる自由があるって恵まれてんな~」

「あの人の決定事項には納得いかない、だったら自分が決めたい」

日々、バラエティに富んだ声が悩ましいよね。

自分が考えてることに意識が向くと、

「自分て器小さいなぁ」とか「勝手言ってるなぁ」とかちょっと弱気になって

こんな自分はまわりにどう映ってるだろうか、って他人の目が気になったり。

 

意志をもって判断するという行動は

特権でもあり、ほんとうに骨の折れる作業でもある。

 

もちろん仕事はその責任とかパフォーマンスでお金もらうわけで、

つべこべ言わず決めろや、やれや、って割り切れるところもあるけど

自分の人生はねー。全責任自分なわけだし

後悔したくないっていうブレーキがかかりがち。

外食のメニュー選びもわりと優柔不断なとこあんだよな、、

飲み屋のハイボールくらいしか即断即決してないわ。

そんで5杯までにする!ってせっかく決めてきたことも

気付いたら余裕でアウトオブ眼中になってるからね。こわいね、ほんと。

お菓子もね、食べない!って決めた5分後にはお構いなしに手が伸びてるし。

 

即断即決・有言実行な女になって

平和と健康を守りたいです。

江戸時代と現代の結婚観が天と地ほど違う

いや、どっちが天でどっちが地だって話だけども。

一時世間を騒がせた「ゲス不倫」からもう4年経ってる。

その時間の流れの方が私をゾッとさせるわけなんですけども、

有名人の不倫が発覚すると何かと話題になりますね。

 

 

匿名勢からフルボッコにされてるのを見ると

現代日本における一般大衆の価値観として、

貞操観念が低いことに強い嫌悪感があるのだなぁと感じます。

 

では、日本人は昔からそういった社会的価値観をもっていたのか?

それは意外にもNoである。結婚感がわりと違う。

 私が比較しているのは江戸時代なんですけども、

江戸時代って265年も続いてて長いのでね。

初めの方は400年以上も前の1600年代、終わりの方が約150年前。

時の流れでマジョリティが変わるってよくよく考えるとすごいことだわ。

 

初期の江戸は、男性比率が高くて女性は非常に貴重な存在だった。

絶対数の多い男性が1度でも結婚できるように、

幕府は女性に対して

2回以上は結婚しましょう

ということを推奨していた。

 

いや、すごいな!!

永遠の愛とか誓わないんかい。

若干シェアリングの走りを感じる。。

 

なんと当時、女性は13歳から結婚できました。

といっても現在と3年しか変わらないって思うと

16歳で結婚できるって結構衝撃。

義務教育終わったばかりか・・・

 

今でいうJK、JD世代がどんどん子供産んでた時代。

はたちまでにだいたい家庭に落ち着くので、

それを過ぎるとちょっと出遅れた感が立ち込めはじめ

『年増』と呼ばれる。

25歳で未婚だと『大年増』と言われる。

昭和だと、クリスマスケーキに例えられ

「売れ残り」という表現がされてましたよね・・

ほんと余計なお世話だけどね。

さらに30を超すと『姥桜』(うばざくら)と呼ばれる。

 

・・・いやいや、ばばあ感すっげー出してくるじゃん!!

字づらがもう老いに老いたシワシワ感を連想させるんだけど何なん?

まだ30でしょ、東京の女性の平均結婚年齢が30ですから。

 

えげつないなと思うけど、

たぶん女性も同性に対してこう呼んだりしたんじゃなかろうか。

「〇〇町のおまさちゃんはもう姥桜よ?」的なコソコソ話。

女の敵は女であることが多いのさ。

 

とはいえ、江戸の男性陣はとっても紳士。

結婚にあたり女性の年齢はさして気にしていなかったそう。

ひとまわり年の離れた姉さん女房もぜんっぜん普通。

誰ももの珍しげな目で見たりしない。

 

驚くべきことに、約30年間で

27回結婚した女性の記録が

浮世草子『世間娘気質』に残っているらしい。

最初の結婚と最後の結婚の時いったい何歳なんだろう?

 

しかも子供も27人産んでいるらしく、

過去全員の旦那と子供作ったんか!?っていう仰天話。

それより27年間ほぼ毎年、妊娠と産みの苦しみを味わうとか

どんだけメンタル強いんだろう。

身ごもったこともない自分が知った口で苦しみとか言うのおこがましいんですけど、

きっと喜びはあれど、体に負担かかるものだし今ほど医療も発達していない。

すごい勇気。

この出生率が低い現代に存在したら、

東京のジャンヌダルクになれるよ確実に。

 

まぁこんな感じで結婚に関しては、

絶対数の少ない女性の方が希少価値が高いので

必然的に優遇され強気に事を運べるのでありました。

 

よく聞く「三行半(みくだりはん)」。

あれは男性が「お前なんて御免だ!!!」って感じで

女性に一方的にたたきつけてるイメージがなんとなくあるが、

それも逆。

 

三行半と言われる古文書の役割は

「今後誰と夫婦になっても、あなたの自由だよ」という

再婚許可証のようなものだそう。

 

だいたい3行~4行くらいの文章量だったから

そのまんま「三行半」と呼ばれるように。

この短さは古文書の種類でも群を抜いて短めなはず。

 

女性はあとくされなく離婚して再婚するために

どうしてもこの三行半を勝ち取りたい。

そのため、離婚したくなると

「いいから私の真意を悟れこの野郎作戦」が繰り広げられる。

 

まず、怠ける。

「家事?何それおいしいの?」とちゃらんぽらんにさぼる。

これで相手の嫌気を誘う作戦。

これはまだかわいいもんだよね。真っ向から抵抗してるもん。

 

そして次は、櫛を投げつける。

櫛は女性の貞節の象徴。。

それを投げ返されるってことは「もうあんたを見切ったよ」

という意味にあたるそうで、旦那は嫁の気持ちを察しなければならない。

(けっこう簡単じゃない?サインわかりやすくない?)

 

それでも旦那が鈍感or認めない場合は

次のアクション、髪を切る。

人の目もあるので髪を切った嫁をそのままにしておくわけにはいかず

三行半を書かざるをえない、ということらしい。

 

しかしそれすらも耐えるふてぶてしい旦那がいた場合!!

お金払って幕府公認の縁切寺に行くという最終手段に出るしかない。

 

なので、離婚がスムーズにいかないと女性も大変な苦労をするから

事前に三行半をもらっておくことを条件に結婚する

『先渡し離縁状』というのも多かったんだとか。

出戻りとかに偏見もなく、ガンガン実家帰ってたらしい。

 

お守りみたいな感じだったのかもしれないけど、

離婚届先に書いておくって、、なんか縁起悪くない?

今の感覚だとかなり少数な気が、、

 

なので、男性側も嫁さんを大事にしていたそうです。

積極的に育児を手伝ったり、家事したり。

むかしって亭主関白のイメージ強かったけど、

江戸では一概にそうとも言えないらしい。

面白い男性が好まれたようなので、自信がない男性は

ギャグの2つ3つ勉強してから結婚したとか。

 

・・・なにそれかわいい!!!♡

 

でも武家は再婚も不倫もご法度だったんだってー。

町人は「ばれなきゃいいよね☆」という感覚があったみたいですが。

 

今で言うと

町人の気持ちで火遊びした人を、オーディエンスが武家の気持ちで批判する

といった感じなんでしょうか。

 

歴史って面白い。

 

 

歳の差婚って驚かれるけど、結構いいと思うんだよねぇ~

わたしたち夫婦は13歳(学年でいうと12)離れていて

結婚したときは結構いろんなリアクションがあった。

 

「話合うの?」「ジェネレーションギャップないの?」という

単純な疑問から、

 

「まだ選べる年齢なのになんでそんな年上にしたの?」

(結婚した当時は20代だった)

「親の介護が始まったら次は旦那の介護だよ」

「旦那が60で定年したら、誰が生活支えるの?50代で働きに出るの?」

「これから子供ができても、旦那さんの歳じゃつらいんじゃない」

といった辛辣なご意見もいただいた。

 

そりゃ、私も正直なところ少しは不安があった。

どう考えても私より先に旦那に老いが現れるだろうから

そうなっても男性として見れるのか?

同世代や若い男性に魅力を感じてしまわないか?

 

子どもは3人授かったら嬉しいけど(自分が3兄弟なので)

旦那の年齢を考えると、いいとこ2人かなぁ…とか。

 

「若さがあり、長く働けて、子育ての体力もある、

年下男子と結婚するのが勝ち組」と露骨に言われたこともある。

 

友達の言うことも一理あるなぁとは思った。

(その子も旦那さんと少し年が離れていたから、

実体験として思うところがあったんだろうし悪気はなさそう)

 

それで言うと、アラサーで13歳上と結婚する私は

初戦で一発K.O.並みの大敗北をしてるのだろうか?

 

答えは、否である。

 

結婚してもうすぐ丸4年だけど、毎日楽しく過ごしているし

今もほんとうに大好きで、この人が旦那でよかったと心底思う。

なので、自分が思う年の差婚の良さを考えてみた。

 

年の功はやはり偉大。人生の経験値で家庭の戦力アップ。

今までの人生でどんな経験をしてきたのかは違って当たり前なので、

伴侶を得るということは二人分の生きる知恵や経験を持つことだと思う。

その中で、共通しているターニングポイントというかステージというか

七五三・学校の入学・卒業・成人式みたいな

ある程度誰しもが既定路線で通るものは旦那が先に経験している。

 

『社会人生活』というくくりで言えば同じことしてるんだけど、

必然的に旦那の方が歴は長い。

自分がフレッシュな気持ちで臨んでいる管理職という立場も、

旦那からしたら13年前にすでに経験済み。

今の私の悩みも「あ~そんなこと自分もあったよね」ってレベルで

処理できるケースが多々あるんじゃなかろうか。

 

身近なところに人生の先輩がいるというのは恵まれている。

もちろん環境の違いとか考慮すれば

旦那のアドバイスすべてが有効というわけではないけれど、

自分を俯瞰してみてくれる存在は強い味方。

 

割り切ってるので喧嘩になりにくい。

お互いが口に出して言ったことはないけど、

なんとなく【歳の差ゆえの節度】みたいなのがある。

無意識に「歳離れてるんだからここまでは甘えていいよな~」と

好き勝手やっている自分もいるしw

「歳離れてるんだから(言ってしまえば自分より子供)

ある程度は大目に見てやるか」って気持ちを旦那も持っているかも。

(・・・持っていなかったらつらい。)

 

性格や相性もあるので一概には言えないものの、

同世代より比較的マウントを取りあわずに

ゆるゆるとバランスを取れているような気がする。

 

あとは指摘された問題点に対しての見解だけど、

ジェネレーションギャップというものは大した問題じゃない。

昔の懐かし話を共有できないなら、

いま一緒に見てる・体験している同じものを共有すればいい。

好きなお笑い芸人とか、お気に入りのレストランとか。

 

子どもの頃見てたテレビとか流行ってたものとか

お互いに別に共有できなくても支障ないタイプなんだな、たぶん。

そもそもテレビっ子の旦那に対し、私はそんなにテレビ見ないし、

同世代であっても実は一緒になつかしむことができる共通の話題は

多くないかもしれない。

 

あと13も離れてると、「自分の時はこーゆうのがあってね」と

まったく新しいものとして話を聞けるので

純粋に「そうなんだぁ」と受け入れられるし、

むしろ、自分と違う世代の話も聞けてわりと楽しい。

得した気分になる。

これ、年上の男性と話すときもちょっと話題について行けたり

職場の付き合いや顧客対応など、仕事上で少し役に立っていたりする。

 

あ、最後に、

私は友達に「親の次は旦那の介護」と言われたのを

入籍前に正直に旦那に話したことがあって。

「こんなこと言われたけど、いつまでも元気でいてほしいよ」って

ニュアンスで伝えたつもりだったけど

後日旦那んちのテーブルに介護保険のパンフレットが載っていて。

ふたりの間の不安を少しでもなくそうとする姿勢を行動で示してくれて、

すごく真摯に向き合ってくれているんだと感動した。

その時に、年齢っていうか、こんな風に相手に寄り添ってくれるかどうかが

人生のパートナーとして重要なことだと再認識できた出来事。

いまでも鮮明に覚えています。

確かアフラックだったかな・・・。

 

先に逝くとかどうとかは、

人間いつ死ぬかわからないから考えても仕方ないし。

一緒に生きている時間をめいっぱい大事にすることの方が重要。

むしろ、私が先に死んで旦那を1人残すくらいなら、看取りたい気持ちの方が強い。

その時は、子供も巣立った、長寿を全うしたジジババであってほしい。

 

なんで、自分的には歳の差婚そんなにわるくないっすよ。