そこらへんにいるアラサーのつぶやき。

口も悪いし酒癖も悪い。でも根はまじめ。日々学び。

江戸時代と現代の結婚観が天と地ほど違う

いや、どっちが天でどっちが地だって話だけども。

一時世間を騒がせた「ゲス不倫」からもう4年経ってる。

その時間の流れの方が私をゾッとさせるわけなんですけども、

有名人の不倫が発覚すると何かと話題になりますね。

 

 

匿名勢からフルボッコにされてるのを見ると

現代日本における一般大衆の価値観として、

貞操観念が低いことに強い嫌悪感があるのだなぁと感じます。

 

では、日本人は昔からそういった社会的価値観をもっていたのか?

それは意外にもNoである。結婚感がわりと違う。

 私が比較しているのは江戸時代なんですけども、

江戸時代って265年も続いてて長いのでね。

初めの方は400年以上も前の1600年代、終わりの方が約150年前。

時の流れでマジョリティが変わるってよくよく考えるとすごいことだわ。

 

初期の江戸は、男性比率が高くて女性は非常に貴重な存在だった。

絶対数の多い男性が1度でも結婚できるように、

幕府は女性に対して

2回以上は結婚しましょう

ということを推奨していた。

 

いや、すごいな!!

永遠の愛とか誓わないんかい。

若干シェアリングの走りを感じる。。

 

なんと当時、女性は13歳から結婚できました。

といっても現在と3年しか変わらないって思うと

16歳で結婚できるって結構衝撃。

義務教育終わったばかりか・・・

 

今でいうJK、JD世代がどんどん子供産んでた時代。

はたちまでにだいたい家庭に落ち着くので、

それを過ぎるとちょっと出遅れた感が立ち込めはじめ

『年増』と呼ばれる。

25歳で未婚だと『大年増』と言われる。

昭和だと、クリスマスケーキに例えられ

「売れ残り」という表現がされてましたよね・・

ほんと余計なお世話だけどね。

さらに30を超すと『姥桜』(うばざくら)と呼ばれる。

 

・・・いやいや、ばばあ感すっげー出してくるじゃん!!

字づらがもう老いに老いたシワシワ感を連想させるんだけど何なん?

まだ30でしょ、東京の女性の平均結婚年齢が30ですから。

 

えげつないなと思うけど、

たぶん女性も同性に対してこう呼んだりしたんじゃなかろうか。

「〇〇町のおまさちゃんはもう姥桜よ?」的なコソコソ話。

女の敵は女であることが多いのさ。

 

とはいえ、江戸の男性陣はとっても紳士。

結婚にあたり女性の年齢はさして気にしていなかったそう。

ひとまわり年の離れた姉さん女房もぜんっぜん普通。

誰ももの珍しげな目で見たりしない。

 

驚くべきことに、約30年間で

27回結婚した女性の記録が

浮世草子『世間娘気質』に残っているらしい。

最初の結婚と最後の結婚の時いったい何歳なんだろう?

 

しかも子供も27人産んでいるらしく、

過去全員の旦那と子供作ったんか!?っていう仰天話。

それより27年間ほぼ毎年、妊娠と産みの苦しみを味わうとか

どんだけメンタル強いんだろう。

身ごもったこともない自分が知った口で苦しみとか言うのおこがましいんですけど、

きっと喜びはあれど、体に負担かかるものだし今ほど医療も発達していない。

すごい勇気。

この出生率が低い現代に存在したら、

東京のジャンヌダルクになれるよ確実に。

 

まぁこんな感じで結婚に関しては、

絶対数の少ない女性の方が希少価値が高いので

必然的に優遇され強気に事を運べるのでありました。

 

よく聞く「三行半(みくだりはん)」。

あれは男性が「お前なんて御免だ!!!」って感じで

女性に一方的にたたきつけてるイメージがなんとなくあるが、

それも逆。

 

三行半と言われる古文書の役割は

「今後誰と夫婦になっても、あなたの自由だよ」という

再婚許可証のようなものだそう。

 

だいたい3行~4行くらいの文章量だったから

そのまんま「三行半」と呼ばれるように。

この短さは古文書の種類でも群を抜いて短めなはず。

 

女性はあとくされなく離婚して再婚するために

どうしてもこの三行半を勝ち取りたい。

そのため、離婚したくなると

「いいから私の真意を悟れこの野郎作戦」が繰り広げられる。

 

まず、怠ける。

「家事?何それおいしいの?」とちゃらんぽらんにさぼる。

これで相手の嫌気を誘う作戦。

これはまだかわいいもんだよね。真っ向から抵抗してるもん。

 

そして次は、櫛を投げつける。

櫛は女性の貞節の象徴。。

それを投げ返されるってことは「もうあんたを見切ったよ」

という意味にあたるそうで、旦那は嫁の気持ちを察しなければならない。

(けっこう簡単じゃない?サインわかりやすくない?)

 

それでも旦那が鈍感or認めない場合は

次のアクション、髪を切る。

人の目もあるので髪を切った嫁をそのままにしておくわけにはいかず

三行半を書かざるをえない、ということらしい。

 

しかしそれすらも耐えるふてぶてしい旦那がいた場合!!

お金払って幕府公認の縁切寺に行くという最終手段に出るしかない。

 

なので、離婚がスムーズにいかないと女性も大変な苦労をするから

事前に三行半をもらっておくことを条件に結婚する

『先渡し離縁状』というのも多かったんだとか。

出戻りとかに偏見もなく、ガンガン実家帰ってたらしい。

 

お守りみたいな感じだったのかもしれないけど、

離婚届先に書いておくって、、なんか縁起悪くない?

今の感覚だとかなり少数な気が、、

 

なので、男性側も嫁さんを大事にしていたそうです。

積極的に育児を手伝ったり、家事したり。

むかしって亭主関白のイメージ強かったけど、

江戸では一概にそうとも言えないらしい。

面白い男性が好まれたようなので、自信がない男性は

ギャグの2つ3つ勉強してから結婚したとか。

 

・・・なにそれかわいい!!!♡

 

でも武家は再婚も不倫もご法度だったんだってー。

町人は「ばれなきゃいいよね☆」という感覚があったみたいですが。

 

今で言うと

町人の気持ちで火遊びした人を、オーディエンスが武家の気持ちで批判する

といった感じなんでしょうか。

 

歴史って面白い。