そこらへんにいるアラサーのつぶやき。

口も悪いし酒癖も悪い。でも根はまじめ。日々学び。

自分の中の悪人に気付くのもたまには必要。

ようやく緊急事態宣言が解除されましたね。

自粛中、なんやかんや1番驚いたのは兄がYouTuberになっていたことかな。笑

ゆっくり解説の動画作ってアップしてましたわ。

再生回数が増えるような内容ではなかったが、

身内からしたら超すげーじゃん、いつの間に?そんなスキルを?って感じです。

 

あと衝撃だったのは、時間を持て余しすぎてセルフ身体測定をした時に

ふと測ってしまった自分の脚の短さに目を覆いたくなった。

切ない。実に切ない。

日本人の平均股下比率は44%らしいのですが、余裕で到達せず。

ただただ打ちひしがれて2ちゃんで検索したら

私レベルの比率だと「奇形」って書かれておった。

うっせ、ほっとけ。

四肢が短いのなんかとっくに知ってるっつの。

 

みんな、ネットでは好き勝手言う。

昨日も悲しいニュースが流れていて、それを見てふいに思い出したことがある。

前、ある番組でインタビューされていた一般の方が癖強めで

案の定、Twitterとかで批判的な投稿がいくつかあった。

一瞬出演しただけのインタビューで、一般人なのに、

こんなに非難されるもんなの? と驚愕するようなコメントもあった。

「この人ウザい」「職場にいたらマジで無理」と、

まぁ明らかに余計なお世話な発言なんだけども

この主張を全世界に発信しようとする意図はなんなのだろうか?

自分がSNS不精すぎて、発言1つするにも二の足を踏むタイプなので

純粋によくわからない領域なのと、

目立つところで何かしたら、自分を刺し殺すかのように

猛烈な批判する土壌がこの世界にはあるのだなぁと心底こわくなった。

だってよ、何したって賛否両論が自然の摂理だと思っている。

それだけ人はみんな違うから、満場一致ってかなりミクロな世界観でしか

起こらないんじゃないかと思っている。

 

好きだろうと嫌いだろうと自由だけど、

わざわざ発信するようなことなのだろうか?

この人の趣味趣向は誰の利になるんだろうか?

なんて思うものの、今こうしてブログ書いて、

さんざん旦那をほめたたえている私には特大ブーメラン。。

 

そして今日、たまたま見ていたLINEニュースである有名人の記事が出ていて

「あ、私この人苦手なタイプなんだよなぁ」と思いつつその記事見て、

さらに世間の反応が知りたくなっていちいちネットで調べて。

批判している人のコメントは読んじゃってるわけでしょ。

自分がネガティブなことを書きこむという行動を起こしていなくても

代弁者の意見に目を通している時点で、嗚呼同じだなぁ。と。

いじめをさ、遠くで見てるだけの傍観者もいじめっ子と同じだ、みたいな

そーゆう理論に自分も当てはまっている気がしてうすら寒かった。

 

そうか、マイナスな発言は私の利になっていたのか。

 

あー、自分て嫌な奴だなぁ。

時間を大事に使いたいとか言う割に

良く思っていない人のこと調べるのに時間使ってみたり。 

いったいこの時間はどれだけ私の人生を豊かにしてくれたんだろうか。

 

そんなことに気付いてしまって、今日はちょっと憂鬱だった。

善人でいたい願望と、偽善者だなぁという不信感が

自分の中で葛藤していて、揺れる揺れる。

 

だけど、見ないふりするんじゃなくて

自分もそういった一面がある人間なんだと受け止める。

誰でもいい面とわるい面がある、ということをちゃんと理解する。

コインの表だけの人も裏だけの人もいないぞ、と

肝に銘じて人を見ないといけないし

そうやって人間社会で生きていくんだって改めて思った。