幕末めぐり @東京 小伝馬町
東京というと、
メディアで紹介されるレストランたくさん
海外の有名作品が特別展で並ぶ美術館・博物館たくさん
屋外でも屋内でも遊ぶところたくさん
とイメージ持たれがちですが
歴史を感じるところもたくさんある。
私自身、東京生まれ東京育ちであるものの
(23区じゃないから、他県の人が全然知らないエリアだけど)
成人してから日本の歴史に興味を持ったので
今までどスルーかましてた所が星の数ほどある。
そんな場所にコツコツ訪れて、
どんどんログ残そう!というシリーズ化を目論む自己満な取り組み。
しょっぱなが小伝馬町とか超絶ニッチ。
小伝馬町駅4番出口から徒歩3分、時の鐘通り沿いの十思公園へ
▼めぐれるスポット
①石町時の鐘
読み方は『こくちょう』です。
『いしちょう』とか『いしまち』じゃなく、石高の『こく』。
(変換しても出ないけど)
時計がない江戸時代、人々は鐘の音で時刻を把握していた。
江戸の市街地拡張に伴い、時報の役割を果たす時の鐘は
江戸城を囲うように9カ所設置。
その中でも、石町は(修繕はしているものの)鐘が現存していて
鐘が東京都指定文化財に指定されているちょっとすごい鐘。
松尾芭蕉の句にも時の鐘は登場し、身近な存在であることがわかる。
「花の雲、鐘は上野か浅草か」
しかし、今の世の中時計があるなんてほんと恵まれてる。
手首に目を向ければ秒で時間わかる。
スマホ傾ければ秒で時間わかる。
Siriやらアレクサやらに聞けば秒で時間わかる。
マジで時間わかりすぎ。
だからこそ、時間を無駄にしてないかとか敏感になるんだと思う。
完全なる便利病の1種。(時計をディスるわけではないけど)
もっと、朝日とともに起きてきて夕日の前に寝てしまう、
南の島のかめはめ波大王みたいな生活したっていいと思うよ現代人。
さっそく話が脱線してる、さっすがまとまりのない女。
戻りましょう。
②吉田松陰終焉の地
幕末、彼が教えた長州萩城下の松本村(山口県萩市)にある松下村塾からは
そうそうたるメンバーが輩出された。
この人たちが有名だから「育てた松陰すごい」みたいになってる。
実際、思想家としては優秀な人だったんだろうけども
わかりやすくこれーーー!っていう実績がない印象。
(松陰先生についてあまり詳しくなく、お慕いしている方すみません)
松下村塾の創設者と思われがちな松陰だけれども、
創ったのは彼の叔父である 玉木文之進さんなので注意。
松陰 辞世の句も彫られているので、
「吉田松陰って最高ー!!!!!」
という松陰ファンにはぜひ訪れていただきたいスポット。
身はたとひ
武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし
司馬遼太郎先生の『世に棲む日日』を読んでいくと
なお感慨深い。
③小伝馬牢屋敷跡
その名の通り、江戸時代に牢屋敷があったところ。
いまは十思スクエアというデイケアセンター?になっている。
駐車場スペースの下に出土した、
当時の井戸に使われていた木材を見ることができる。
見えにくい…
④小伝馬町牢屋敷展示館
「十思スクエア別館」内に牢屋敷内部の模型があるけれど、
背筋が凍るほど入り口がわかりにくい。
入口がわからず周辺をだいぶうろうろした。。。
十思公園で子供を遊ばせているパパの私を見る目と言ったら…
普通に「十思スクエア別館」の入口から入ればOKだった。
模型はこんな感じ。
牢屋敷は総面積約2670坪(8,800㎡)
サッカーコート1面が7,140㎡らしいので、それよりは広い。
東京ドームで言うと0.62個分のようなのだけど
東京ドーム6割って全然イメージわかんな。。
江戸時代の牢屋敷は、
取り調べ中の容疑者を、刑が確定するまで閉じ込めておくものだったので
判決が出ればすぐに刑が執行される感じだったらしい。
この敷地内に首斬場(死罪場)もあったのですー。。
身分によって収容される部屋も異なるし、
拷問の種類によって行う場所も異なったようです。
伝馬町牢屋敷に収監された有名人たち
唯一名を連ねる女性、
好きな人会いたさに放火してしまった超純情娘、お七ちゃん。
殿方との出会いが火事だったから、また火事が起きれば会えると考えました。
素晴らしくかわいげのある乙女心だけど、
それで江戸を火の海にしたんじゃたまったものではないので
普通に取っ捕まってここに収監された。
最期は火あぶりになる火刑に処されました。。
ハンムラビ法典みたいだな。。
あとその隣は、鼠小僧ね。
どうやら彼が義賊だったってのは嘘らしい。
散歩にうってつけ。