そこらへんにいるアラサーのつぶやき。

口も悪いし酒癖も悪い。でも根はまじめ。日々学び。

「身長が低く見える人」を検索してみた結果。

ほんと人様にとってはどうでもいい話で、
むしろ当人でさえぶっちゃけどうでもええわ〜程度の話なんですが。
 
実際の身長より低く見られることが多い
ということに最近気づきました。
 
なかなか、ないじゃないですか。
人の身長を確認する機会って。
 
あったんですよたまたま。
先日会った友人が、産後の体重が〜って話し出した時に
身長比どれくらいの重量かやっぱ派生して確認するじゃないですか。
(しない?)
 
その時、その場にいた私含め3人の身長の話になり、
偶然にも全員158センチだったんです。
 
そこで、なぜか1番喰いつかれたのが
私に対して
「え、そんなに身長あった?」
ってとこで。
 
私としては、まさかのリアクション過ぎたため
その驚きに驚き〜、だったのですが
私も歴とした158センチ台の人間なのです。
しかしどうも「154センチ枠」なんだとか。
いやピンポイントだなw
 
小さく見られること自体は別になんとも思ってないんだけど、
思い返してみたら152センチくらいの友達に
「身長一緒くらいかと思ってたわ〜」と言われた事もあり、
なにやら自分は小さく見える部類の人間らしい、と認識した次第。
 
そう、世の中には
実際の身長より高く見える人
実際の身長より低く見える人
2種類が存在する。
 
否、「見たまんま」含め3種類が存在する。
 
私はパターンB(いつの間にやら上からABC分類)なんだな。
ってことでですよ、
例のごとく大先生に聞いたんです。
 

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その結果、

前テレビでやってたんだけど、
身長なんセンチ?ってきいて高く見える!とかもっと低いかと思った!っていうのは、
高く見える→自分より上
低く見える→その人のことを見下してる
ってやってた

https://girlschannel.net/topics/1403808/

 

嘘やん。 

親しい人らから、全力で下に見られてる疑惑。。

 

これは事実だったら前私が号泣するから

まだまだ検索を続ける。

 

実際の身長よりも低く感じるタイプ
●キュートタイプ/ガーリッシュ

http://imageupup.jugem.jp/?eid=1100

 

うーーーーーん、

キュートなのか、ガーリッシュなのか、

人のが意見を分類するのは苦手なのです。

一体自分は何タイプなのかイマイチわからんので

この説は却下。(勝手に見といてごめんなさい、、)

 

結局は、「童顔」 ということが答えらしい。

わかるわ。青臭い顔してますわ自分。

「若い」というか「幼い」ことがコンプレックスではあったものの

歳が増えていく過程での武器だと自分に言い聞かせている。

 

あと「顔が小さいと背が低く見える傾向がある」は

実際そんな小顔なわけではないが、

嬉しいからこの説推しでいこうとおもう。

 

視覚効果はよくわからんってことですが、

大事なことなので(?)もう一度主張しておくと、

 

私は158.6センチです。

おしまい

とんでもなくご無沙汰になったブログを再開させようか否か。

待って、いつぶり?

いつぶりに書くの?

 

なんだか最近は、内省ブームでして

禅問答に近い形でうんうん自分に向き合っては堂々巡りし

あーでもないこーでもないとやってます。

 

noteに浮気しようとしてどう書いていいかよくわからず

一文字もかけずはてなに戻ってきた。

気まぐれにまたnoteに挑戦するかもしれないけど、

まずは馴染みのあるプラットフォームで書くことを再開させる!

 

胸の内を吐き出し、さらけ出し、どちゃくちゃに書きなぐってやる。

やさしい気持ちになりたいときは、色遊びすることにした

誰でもあることだと思うけど、

仕事でプレッシャーを感じたり

苦手な相手と調整しなきゃいけなかったり。

 

そんな時は、自分の心地よさに時間を使う。

デジタルペイントの色塗り練習中なので、

無心で色を重ねていくのが超楽しい。

ちょっと緊張がほぐれて、癒される気がする。

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ただ、塗ってる最中はすっごく柔らかくてきれいな色味に見えたのに

こうして画像貼ってみると

 

 

めっちゃくすんどる。

 

え、なに、深層心理とか出ちゃってる?

ちょっとブラックでもやっとしてる感情投影されてる?

 

いい感じにかけたなぁ(`・ω・´)♪

くらいに思ってたのにこわいわ。

 

色のチョイスって多分なにかが表われるね。

 

これからも、

すっきりしない気分の時は色塗りするんだ。

My三味線貯金を始めるっつー話。

今年の1月、津軽三味線の兄弟ユニットである

吉田兄弟さんの20周年記念特別コンサートへ行き、

初めて三味線の生演奏を聴いた。

もう予想通りに最&高。

 

ほんとに、

 

 

最高だった。

(大事なことだから2回言う)

 

1階席の前から9列目で、これドームだったら

アリーナなんじゃないの!?という距離感。近かった。

 

そんで即効で感化されて、

その日のうちに三味線の教室を調べて

2月から通い始め今に至る。

 

そう、音楽経験皆無な私が

完全にノリで始めちゃった

趣味が、津軽三味線なのである。

 

久々に感じた、自分の行動力を。即決力を。

仕事中はなぜか鳴りを潜めているのに。

出ろよ、ONの時も!と切に思う。

 

途中、緊急事態宣言の自粛があったので

今月で三味線歴丸4ヶ月。

変わらず楽しんでいるのだけど、

いかんせん音がうるさい。

 

爆音 × 音漏れ激しいマンション

 

この組み合わせ、もう詰んでませんか?

自宅での練習がつらすぎる。

 

なので、近所の音楽教室が開放している

個人向けスタジオをたまにレンタルして練習。

初めて見るような二重扉の防音施設。

 

「本当に音防いでるのかな?」という不安から

戒心を怠らない。

 

しかし一方で、「せっかくだから」という

不可思議なテンションの高ぶりにより

 

いえええええぇ!!!!!!

 

とかふいに絶叫してみる。

 

そんな感じで、練習機会が非常に限られる中、

どうせやるならと

 

大会出場を目標に掲げた。

 

言うのは自由だからね。

カメのペースで上達してるから、

2年以内には出たいなって感じなのね。

 

そうすると、マイ三味線が欲しい・・・

という欲望が湧き上がってくるわけです。

 

なので明日から、

三味線貯金をすることにする。

年内に10万円貯めたい。

来月からちゃんとお弁当を持っていくことにしよう。

 

なのにさ、先週末さ、

歯の詰め物に4万かけちゃった…

 

こーゆう時に使うんでしょ?

ぴえん。 って。

 

くぅー、三味線のためになんか副業できればいいのに。。

手に職ないことを呪う。

 

とりあえず、目標額たまったら

ご褒美に寿司でも食べようと思います。

生きるとか死ぬとか哲学はむずいけど、定期的に考えることはきっと大事ですよね?

なんだか日が空いてしまった。

ここ最近は、オフィス出社が再開したことと

プロジェクトが佳境なことが重なり

仕事が終わって家につくと23時近い。

 

今の仕事はそれなりに好きなものの、

私のデフォルトスペックは

長時間労働でも問題ないワーカホリック仕様にはなっていない。

 

故に、当然のようにつらいw

 

あれだけ「けっこう可処分時間あるやんけ~♪」と

浮かれていた在宅勤務が恋しくて仕方ない。

 

自制心を保って集中しなきゃいけないので

在宅特有の”自分との闘い感”はあったけれど

断然おうちで働きたい派だ。というより通勤が嫌いだ。

 

さて、そんな嫌いな通勤期間を有意義に過ごすべく

眠い目をこすって読書をしている。

(というより、目で文字をなぞってるだけに近い、理解度著しく低い)

 

最近読んでいる『決定力!』という本に

とても印象に残るこんな一節があった。

 
血液の持病を抱えるある男性。
手術を受けなかった場合、
今の治療を続けても余命5年と宣告される。
 
ならば手術を受けると答えたいところだが、成功率が低い。
突如、人生の決断を迫られる。
 
 ・手術を避け、余命の5年後に死ぬか
 ・成功確率25%の手術を受けて、長寿を全うする可能性をつかむか
 
人間はいつこのような決断を迫られるかわからない。
自分の身には程遠い、他人の話に感じられても
明日現実に起こる可能性だってある。
事故や病気なんてものを予定に組んでいる人は誰もいないけど、
そいつはなんもお構いなしに突然湧いて出るもんだ。
 
そうなったとき、自分はちゃんと決断できるだろうか。
すごく怖いけど、感情に押しつぶされず
後悔しない選択をできるだろうか。
 
自分が窮地に立たされたらとイメージしてみるけど、
まったくもって自信がないな。
 
それと、思ったことが3つあった。
 
1つは、人間は必ず死ぬということ。
残念ながら、遅かれ早かれ必ず別れは来る。
だから、冒頭の決断は、別れまでの時間と形をどうしたいか
自分の価値観が問われている選択でもある。
 
両親には常に元気で長生きしてほしい、
旦那も健康には気を付けてほしい、と思うけれども
それだって必ずや終わりがくるし、自分の方が先になる可能性だってある。
怖いものだ。
 
今、電車の目の前に座っている知らない人たち
今、街中ですれ違う多種多様な人たち
今、テレビに映っている著名な人たち
まったく接点がなかった人達も
 
今、同じ会社で働いている人たち
今、顔を合わせている高校からの友達
今、一緒に暮らしている配偶者
自分の人生でかかわりが濃かった人達も
 
例外なく最後は死ぬ。
いつか会えなくなる日が必ずやってくる。
当たり前なんだけど。
ちゃんとその事実を目を向けると、胸がしめつけられる想いがする。
 
2つ目は、
自分がいついなくなるかわからない中、
残っている接点のあった人たちにどんな印象を抱かれたいか。
それも自分にとっては大事だということ。
 
惜しまれたい、というよりも
思い出してほしいのは、自分との楽しかった思い出とか、笑った顔であってほしい。
間違っても、仏頂面で悪態をつくような奴の姿ではない。
 
仕事で衝突したり、些細なことで喧嘩したり、
「こんなやつ嫌いだ」と思った相手も
「もう二度と会いたくない」と思った相手も
文字通り本当に二度と会えない日が来る。
 
 
その人に対する、いま一瞬の感情が決してポジティブと思えるものじゃなくても
人間の印象なんていつ変わるかわからない。
 
ちゃんと話してみたらすごく気が合う人だった、とか
突然有名になった、とか
そんな簡単なことで人への感情なんて変わるものだ。
 
だとしたら、今の感情に則って 相手を粗悪に扱ってしまうのは
大きな機会損失だと思える。
死んだ後にこそ、「人を大切にしていたかどうか」が
問われるような気がした。
 
だから、死人に口なしになったあと
どんなふうに自分を語ってもらえるかは
自分の生き方によるところが大きい。
 
3つ目は、そう思ったところで仏のようにはなれない。
日々人とのかかわり方は神経を使ったって
うまくいかないことだってあるよね。
結局、人間は感情の生き物だし、
ホルモンバランスだってあるし。
 
うまくコミュニケーションできないことでさらに自己嫌悪になってしまったり、
疲れてしまったら、それはそれで意味ないのだ。
自分が死ぬとき、なんでもっと自由に生きなかったんだろう、と後悔する可能性がある。
 
「どう生きたいのか」が自由だからこそ、人は選択が怖い。
つまるところ、失敗したり後悔するのが怖い。
こんな感情を抱えて生きてるんだから、人間味すごいわけで。
聖人君子なんて、自分は到底なれないー。
 
さっきだって、ほんっと取引先のアイツむかついたもんね。
一生口ききたくねぇって思ったし、絶対顔にも出てた。
(むしろ電話だからバレねぇ!つって思いっきり出してやった)
 
性善説に立ちたいけど、
汚かったり暗い気持ちだってそりゃあるわ。
にんげんだもの~。みつをーーー。
 
だから無理せず、「いい人になろう」とかじゃなくて
自分の心地よさを優先することと
人を大切にすることがイコールになるような生き方が
できたら望ましいなぁなんてだいぶ高めの理想論。
 
こんなこと書いてる自分にうすら寒さまで感じますが、
いい具合に脳が疲弊してるので麻痺しつつここまで書ききった。
 
もう判断力のかけらもない、
帰りにコンビふらっと寄って
酒とスニッカーズカップラーメン買っちゃいそう。
たすけて、、、