そこらへんにいるアラサーのつぶやき。

口も悪いし酒癖も悪い。でも根はまじめ。日々学び。

大河ドラマの再開が待ち遠しい。

毎週心待ちにしている大河ドラマの放送が休止してしまう~~

残念。。

コロナ許すまじ。
 
ようやく桶狭間の戦いで今川を討ち、盛り上がってきたというのに。
 

麒麟がくる』非常に面白のですが、

率直に申し上げて若干なりとも引っかかる演出がある。

 

それが、織田信長のターニングポイント事あるごとに

 
実は裏で手を引いているのが帰蝶様(と光秀)という設定。
 
明智光秀が主演の作品なので仕方ないけど、
信長って日本人が最も好きな戦国武将であって
何が人気かって、そのカリスマ性に尽きるんじゃないかと思うんです。
 
奇抜な格好から「大うつけ」と呼ばれ
尾張一国も統一できていなかった信長が
強敵 今川を劣勢な兵力で打ち破り快進撃を続けていく。。
そんな圧倒的なヒーローストーリーに憧れるんですよ。
 
歴史にあんまり興味ない人でも知ってる信長のエピソードって
結構えぐいというか、残虐なインパクトが強め。
部下へのパワハラすごかったんでしょ、とか
お寺を焼き討ちしたりしてたんでしょ、とか。
 
それだけの逸話しかなかったら
超いやな奴だなぁで終わっちゃうところを
実績残してるから400年以上たっても
「信長ってかっけぇぇぇぇええ!!」ってなるのでないか。
 
だからこそ、私個人的には
「さすが信長!頭きれるねぇ!!」みたいな
信長像を見たい。
 
という気持ちがあるので、
斎藤道三に会う時も、今川との決戦に臨むときも
軍師さながらの帰蝶様の行動はちょっと萎えてしまう感じがあった。
 
しかし、役者さんすごくよい。
染谷翔太さんて今までの織田信長像とちょっとイメージが違ってて
初登場のシーンで船に乗って沖から戻ってくると事は
正直「桃太郎かな?」と思ったくらいだった。
 
でも回を重ねるにつれ、
母親に愛されない苦悩とか、困難にぶつかってもどこか楽し気な様子、
帰蝶様を大事にしている夫婦仲のよさとか
こーゆう信長もいいなぁとしっくりくるように。
なんだろう、愛着がすごい。
織田信長を演じるって結構なプレッシャーがある気がしますが、
新しい信長像を体現されてて、本当にすごい俳優さんだなと心動かされます。
 
川口春奈さん演じる帰蝶様(織田信長の嫁)は、
女がてら戦上手というか知略に満ち、
美濃のマムシの娘たる度胸もあり、
とても凛としててお美しくて申し分ないくらい最高です。
あの目力どっかに売ってないかなー。。うらやまし。
 
とにもかくにも、早く続きがみたぁぁああああいい

子宝の湯の秘密 ~江戸時代のひわうぃ~な風習~

子宝の湯。

そこに浸かるとなんの効能なのか子供を授かるっていうあれ。

 わりといろんなところにあるあれ。

 

終身雇用ならぬ永代雇用の江戸時代、

女性は子供を産み育て、お家を存続させることが仕事とされた。

 

現代では平均出産年齢は30歳だそうだけど、

江戸時代では19歳あたりの

ピッチピチJD世代で子供を産むのが一般的。

 

適齢期になってもなかなか妊娠しない場合、

ちょっとおうちの中で肩身狭くなってしまう。

3年たっても子どもが生まれなければ離縁

の世界だったとか。

 

やっば。うちら夫婦はもうすぐ結婚5年目で子供いませんので

江戸基準だったら三行半くらってます、勘弁。

 

今でも親による「孫の顔見せてくれ」攻撃は世にはびこり、

プレッシャーを感じる夫婦もたくさんいると思いますが。

それでも現代では女性がキャリアを築きやすくなっているし

できなかったら夫婦ふたりで人生楽しもうかって

切り替えられるだけの選択肢がある。

 

私も妊活的なことしているもののなかなか授からず、

気を揉むことだってあるし、

友達のご懐妊のニュースは嬉しい反面、心がチクッとしたりする。

でももし本当に無理だったら

仕事しつつ、稼いだ金を自分のために使い、旦那と楽しく生き

最後は弟夫婦にでも看取ってもらえれば御の字だなとは思ってる。

(弟まだ独身だけど)

あくまでプランBだけども。

 

しかしよ、200余年前の女性陣はそうも悠長なこと言っていられない。

現代の不妊率が10組に1組との統計があるので、

女性のからだ自体は生物的にそんなに変わってないと仮定すると、

江戸時代もだいたい同じ水準だったんじゃないかと思う。

 

町民は性に対して結構大っぴらだったようなので

わりと普通に「子供できないわねぇ」みたいな家族会議してたんじゃないかと。

そんな時に登場するのが子宝の湯。

別に神秘的なものでも湯の効能でもなんでもなく、

 

 

ふつうにやることやってる

マジで普通に営んでいる。

 

江戸時代の銭湯には、

湯を沸かしたりお客の背中を流したりする奉公人が勤めていて

そんな男性を『三助』(さんすけ)という。

 

子宝の湯で有名な銭湯の三助は、

力仕事により鍛えられたムキムキバディーと

汗が滴るさわやかイケメンであることが多い。

 

お金を払うと、丸裸の奥方様を

そらぁ勢いよく洗ってくれるとかで。

 

いや、女湯に男いんのかい!って感じですが、

江戸時代の銭湯は基本的に混浴でした。

(↓ここから少し脱線↓)

風紀の問題で何度か禁止されたりしてるけど、

経営上いっしょに入ってもらった方が楽という背景もあって

そんなお達しは幾度と破られてたそう。

男女別にしたら、今度はご丁寧に女湯に覗き穴を作る銭湯もあった。

男性陣のニーズ汲みすぎじゃない?

人間の3大欲求であるスケベ心に着目するとは商売上手。

ちなみに湯女(ゆな) と呼ばれる銭湯遊女を置く店もあった。

吉原(花魁がいる花街)をしのぐ人気だったとか。ほえー。

 

 

話を戻して、

子宝の湯の正体としては

妊娠しない奥方様が銭湯に行き

好みの三助がいたらお金をススッと握らせて

子種をもらった、ということらしいんです。

貞操観念どうなってんだって話だけど、結構堂々とはびこっていたらしい。

いや~ん、だいたーん。

 

つまり、子宝の湯で授かれるってことは

旦那様側に不妊の理由があった可能性が高いと推測できる。

疑問なのが、バレた時どんな感じなんだろう?

それとも旦那も合意の上で三助を頼るのだろうか。

 

仮に秘密裏に子宝の湯の荒治療を行っていたとしたら、

最初は「こいつぁ、俺に似てらァ!」とか

「母ちゃんにも似てるな!でもやっぱ目元は俺似でぇ!」とか

 言っていた威勢のいい旦那さんも

 

10年くらい経ったころに

「・・・いや、ぜんっぜん俺に似てねぇ!!!!」って

確実に傷心するてやんでぇな事態になりえるでしょ?

「あ、こいつ子宝の湯行ったな」ってなるでしょ?

発狂しちゃわない?だいじょうぶ?

メンタルだいじょうぶかな? 

 

このあたりの江戸っこの価値観がよくわからない。

純粋に子を授かることを目的としているから不義でもなく、

めでたく懐妊した場合は夫婦の子供として大切に育てているので

わりきっていたのだろうか。

 

江戸の町は現代と違ったメンタルタフネス野郎の巣窟!

VIVA ☆ EDO

 

 

そして衝撃なのが、業務内容によらず

一人前の三助になるには10年かかるらしい。

 

これ現代の民間企業だったら、

評価面談くっっっそ萎えると思うんですけど。

 

 

番頭「お前~、湯加減いまいちだからBマイナス」

 

 

いやいやいや。

想像しただけで禿げそうw

江戸時代と現代の結婚観が天と地ほど違う

いや、どっちが天でどっちが地だって話だけども。

一時世間を騒がせた「ゲス不倫」からもう4年経ってる。

その時間の流れの方が私をゾッとさせるわけなんですけども、

有名人の不倫が発覚すると何かと話題になりますね。

 

 

匿名勢からフルボッコにされてるのを見ると

現代日本における一般大衆の価値観として、

貞操観念が低いことに強い嫌悪感があるのだなぁと感じます。

 

では、日本人は昔からそういった社会的価値観をもっていたのか?

それは意外にもNoである。結婚感がわりと違う。

 私が比較しているのは江戸時代なんですけども、

江戸時代って265年も続いてて長いのでね。

初めの方は400年以上も前の1600年代、終わりの方が約150年前。

時の流れでマジョリティが変わるってよくよく考えるとすごいことだわ。

 

初期の江戸は、男性比率が高くて女性は非常に貴重な存在だった。

絶対数の多い男性が1度でも結婚できるように、

幕府は女性に対して

2回以上は結婚しましょう

ということを推奨していた。

 

いや、すごいな!!

永遠の愛とか誓わないんかい。

若干シェアリングの走りを感じる。。

 

なんと当時、女性は13歳から結婚できました。

といっても現在と3年しか変わらないって思うと

16歳で結婚できるって結構衝撃。

義務教育終わったばかりか・・・

 

今でいうJK、JD世代がどんどん子供産んでた時代。

はたちまでにだいたい家庭に落ち着くので、

それを過ぎるとちょっと出遅れた感が立ち込めはじめ

『年増』と呼ばれる。

25歳で未婚だと『大年増』と言われる。

昭和だと、クリスマスケーキに例えられ

「売れ残り」という表現がされてましたよね・・

ほんと余計なお世話だけどね。

さらに30を超すと『姥桜』(うばざくら)と呼ばれる。

 

・・・いやいや、ばばあ感すっげー出してくるじゃん!!

字づらがもう老いに老いたシワシワ感を連想させるんだけど何なん?

まだ30でしょ、東京の女性の平均結婚年齢が30ですから。

 

えげつないなと思うけど、

たぶん女性も同性に対してこう呼んだりしたんじゃなかろうか。

「〇〇町のおまさちゃんはもう姥桜よ?」的なコソコソ話。

女の敵は女であることが多いのさ。

 

とはいえ、江戸の男性陣はとっても紳士。

結婚にあたり女性の年齢はさして気にしていなかったそう。

ひとまわり年の離れた姉さん女房もぜんっぜん普通。

誰ももの珍しげな目で見たりしない。

 

驚くべきことに、約30年間で

27回結婚した女性の記録が

浮世草子『世間娘気質』に残っているらしい。

最初の結婚と最後の結婚の時いったい何歳なんだろう?

 

しかも子供も27人産んでいるらしく、

過去全員の旦那と子供作ったんか!?っていう仰天話。

それより27年間ほぼ毎年、妊娠と産みの苦しみを味わうとか

どんだけメンタル強いんだろう。

身ごもったこともない自分が知った口で苦しみとか言うのおこがましいんですけど、

きっと喜びはあれど、体に負担かかるものだし今ほど医療も発達していない。

すごい勇気。

この出生率が低い現代に存在したら、

東京のジャンヌダルクになれるよ確実に。

 

まぁこんな感じで結婚に関しては、

絶対数の少ない女性の方が希少価値が高いので

必然的に優遇され強気に事を運べるのでありました。

 

よく聞く「三行半(みくだりはん)」。

あれは男性が「お前なんて御免だ!!!」って感じで

女性に一方的にたたきつけてるイメージがなんとなくあるが、

それも逆。

 

三行半と言われる古文書の役割は

「今後誰と夫婦になっても、あなたの自由だよ」という

再婚許可証のようなものだそう。

 

だいたい3行~4行くらいの文章量だったから

そのまんま「三行半」と呼ばれるように。

この短さは古文書の種類でも群を抜いて短めなはず。

 

女性はあとくされなく離婚して再婚するために

どうしてもこの三行半を勝ち取りたい。

そのため、離婚したくなると

「いいから私の真意を悟れこの野郎作戦」が繰り広げられる。

 

まず、怠ける。

「家事?何それおいしいの?」とちゃらんぽらんにさぼる。

これで相手の嫌気を誘う作戦。

これはまだかわいいもんだよね。真っ向から抵抗してるもん。

 

そして次は、櫛を投げつける。

櫛は女性の貞節の象徴。。

それを投げ返されるってことは「もうあんたを見切ったよ」

という意味にあたるそうで、旦那は嫁の気持ちを察しなければならない。

(けっこう簡単じゃない?サインわかりやすくない?)

 

それでも旦那が鈍感or認めない場合は

次のアクション、髪を切る。

人の目もあるので髪を切った嫁をそのままにしておくわけにはいかず

三行半を書かざるをえない、ということらしい。

 

しかしそれすらも耐えるふてぶてしい旦那がいた場合!!

お金払って幕府公認の縁切寺に行くという最終手段に出るしかない。

 

なので、離婚がスムーズにいかないと女性も大変な苦労をするから

事前に三行半をもらっておくことを条件に結婚する

『先渡し離縁状』というのも多かったんだとか。

出戻りとかに偏見もなく、ガンガン実家帰ってたらしい。

 

お守りみたいな感じだったのかもしれないけど、

離婚届先に書いておくって、、なんか縁起悪くない?

今の感覚だとかなり少数な気が、、

 

なので、男性側も嫁さんを大事にしていたそうです。

積極的に育児を手伝ったり、家事したり。

むかしって亭主関白のイメージ強かったけど、

江戸では一概にそうとも言えないらしい。

面白い男性が好まれたようなので、自信がない男性は

ギャグの2つ3つ勉強してから結婚したとか。

 

・・・なにそれかわいい!!!♡

 

でも武家は再婚も不倫もご法度だったんだってー。

町人は「ばれなきゃいいよね☆」という感覚があったみたいですが。

 

今で言うと

町人の気持ちで火遊びした人を、オーディエンスが武家の気持ちで批判する

といった感じなんでしょうか。

 

歴史って面白い。