歌舞伎座がないのに歌舞伎町。
旦那がそぼろご飯大好きすぎるどうしよう。
こだわり強すぎて絶対自分で作るんだけど、
めちゃくちゃ美味しいんだけど、
味濃い族だから塩分の過剰摂取が気になる。
うちのおじさんが健康で、むくまないでいてくれることを願う。
カリウム入ってる食材はむくみ解消に効くらしい。
さて、緊急事態宣言が明けて1週間ほど経った。
この1週間、油断大敵なことはわかっていても
自粛中に蓄えていたボルテージを一気に噴出させるかのごとく
たくさんの人が外に繰り出しております。
私も、ちょっとなら大丈夫かなとの気の緩みで
KALDIとか行っちゃってますわ。
そこで「第2波くるんじゃないか」という心配が渦巻いている最中、
今月になってから都内の新規感染者のおよそ4割が、
夜の街・歌舞伎町で感染しているという報道。
それ聞いてね、思ったんです。
なんで、歌舞伎の劇場があるわけでもないのに
歌舞伎町なんだろう、って。。
調べたことを超簡潔に要約すると、
戦後の町おこしで歌舞伎座を造ろうとして
先走って歌舞伎町って地名をつけたけど
なんだかなんだで歌舞伎座は造られず
代わりにできたのがコマ劇場だよ、って話だった。
その幻の歌舞伎座は『菊座』という名前に内定していたそうで
あわせて菊町になる可能性もあったよ、ってことでした。
へぇ~~~。
8へぇ~~~(昭和生まれは知ってる某番組のあれ)
新宿に歌舞伎座かぁ。
やはり日本人は伝統芸能の歌舞伎が好きなんだなぁ。
十三代目市川團十郎白猿を襲名していた歌舞伎界のプリンス・市川海老蔵さんが
何年か前のインタビューで
「娘は歌舞伎が好きだけど、女の子は歌舞伎ができない」と苦悩を話していた。
今では女性の歌舞伎役者はいないけれども、
発祥まで辿ると、出雲 阿国(いずものおくに)という女性が始めたもの。
いつ頃か時期はハッキリわかっていないものの、
徳川家康が征夷大将軍となった(慶長8年/1603年)あたりから
記録に登場し、このころ人気絶頂だったらしい。
剣とかもって踊る。
人気に便乗して女歌舞伎劇団は増えたらしいけれど、
マーケットが拡大していくと競争が激しくなるのは世の常。
例外なくレッドオーシャン化した女歌舞伎市場では、
「芸」では稼げないところも出てくる。
そして代わりに、ある付加価値を武器に勝負する。
それが、
「色」を売る
ということ。いや~~ん。
街づくり真っ最中の江戸時代初期の江戸では
男性比率の方が圧倒的に多かったので
需要も大きかったことでしょう。
今も昔も、そういった欲求を満たすことは
立派なサービス業の一つとなりえるわけですね。
当時の衣装は露出が多く、ひわうぃ~な恰好だったようです。
もう風紀乱しまくり!と幕府が危惧したため
寛永6年/1629年、女性の歌舞伎は禁止になりました。
それですぐに今の形になったかというと、Non Non Non
次に現れるのは、若衆歌舞伎というもの。
若衆というのはU18の美少年たちで
今でいうジャニーズJr.みたいな感じでしょうか。
さぞ女性客から熱い視線を送られたに違いない…!
と思うけど、当時の江戸は文字通りの男社会。
…そう、熱い視線を注ぎまくっていたのは
男ども!!!!
当時、衆道といって、
武家社会のBLは超オープンだった。
戦国の世、女性を戦場に連れていけないので
血気盛んな武将たちはどのように性欲を処理したか?
若くて器量のいい家来をかわいがったのであります。
女歌舞伎から若衆歌舞伎になっても、
当然「色」を売る役者がいるわけだ。
だって儲かるんだもんね、そりゃやめないよね。
平成はアイドル戦国時代だったけれど、
そんな感じで推しメンをがいて、ファン同士で争い、
風紀も治安も乱れまくったから幕府おこだよ。
そりゃそうだよ。
ということで、同じ理由で禁止されます。
承応元年/1652年の出来事です。
そして、ついに登場するのが
現代に通ずる野郎歌舞伎。
・・・野郎って。
すなわち成人した前髪のない男性がやる歌舞伎。
(江戸時代、成人した男の子は前髪を剃る文化)
ここから、いよいよ実力主義の世界になり、
芸のうまさや客を魅了する表現技法が評価されるようになったそう。
テレビとブログでしか見たことないけど、
堀越勸玄くんを陰ながら応援しているので
いつの日か銀座の歌舞伎座へ観に行きたーい。